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 こんにちは。8月22日から約二週間、ふらっと木曽でインターンに入っている加藤拓哉です。自分は現在大学四年生で、東京生まれ東京育ち、専門は法律ですが、木曽の豊かな歴史と美しい自然、そして温かい人々に惹かれ、繰り返し木曽を訪れるようになり、今回遂にこちらでインターンをする運びとなりました。

 インターンの期間中には、地元の学生に勉強を教えたり、進路相談を受けたりするイベントと、郷土史についての座談会をするイベントという、二つのイベントを開催します。
 まず前者についてですが、受験社会で予備校が飽和している東京とは異なり、木曽には木曽福島のKUMON(くもん)ぐらいしか学習塾がなく、あとは松本あたりまで通わなければなりません。このような環境の差異があると、若いうちに将来を考える手がかりとして得られる知識や経験にもおのずと差が生まれてしまいます。それを少しでも是正し、拙いながらも学問、進学についての情報を届けることができればと思い、このような機会を設けました。
 後者に関しては、木曽の歴史について皆様により深く知っていただき、郷土史に興味を持つ人口を増やしたいと思い、開催を決定いたしました。木曽の郷土史はどの時代も非常に魅力的ですが、案外その研究を今も進めている人は少なく、平成の大合併のころにいくつかの町村で郷土資料が発刊されたあたりから学問が停滞気味な状況があります。そこで、郷土史に少しでも興味のある人を集めて座談会を行い、皆の知見を交換し合うことで、郷土史に対する人々の興味を深め、より学術を振興することができればと思い、このイベントを企画いたしました。これをきっかけに郷土史の勉強を進める人が増えれば本望ですし、そうでなくても、郷土史に対する興味関心のある人を増やせれば、貴重な史料が捨てられてしまったり、歴史ある建造物が簡単に壊されてしまったりするような事態を少しでも減らし、史料発掘と伝統保存の助けとなるのではないかと考えました。

 さて、そんなことを考えながらイベントを企画しているこのインターン期間ですが、自分はときどきお休みをいただき、木曽町の旧日義村にある、地元の有名な武将・木曽義仲の伝承館「義仲館」でアルバイトをしているので、このブログ記事では、そちらについて紹介しようと思います。


 こちらが自分のアルバイト先、「義仲館」です。この義仲館がある旧日義村は、平安時代末期の源平合戦で、平家を都落ちさせた活躍で知られる武将・木曽義仲が幼少期を過ごし、治承四年(1180年)に平家追討の軍勢の旗挙げをした場所です。村の中には義仲や、彼の育ての親である中原兼遠とその子供たちに関する史跡がたくさんあります。村人の義仲愛は強く、村の名前の「日義」すら、「朝日将軍木曽義仲」の略となっています。
 義仲はかの有名な源頼朝のいとこであり、同じ源氏の一門です。父の義賢が上野国から武蔵国(群馬、埼玉あたり)に勢力を築いていた関係で、そちらの方で生まれていますが、父が兄の源義朝との争いで、義朝の息子である義平に殺されたことで、二歳の折に孤児となっています。孤児となった駒王丸(義仲の幼名)は土地の武士・斎藤実盛に保護され、何らかの縁を辿って木曽の中原兼遠の元へと届けられます。兼遠の館は、日義村の原野駅から正沢川を越えたあたりにあったと伝わります。このような経緯によって、義仲は木曽で育つこととなりました。


伝・中原兼遠の館跡。義仲が元服の際に植えたと伝わる松が生えます。

 義仲館は従来、地方の古風な資料館といった雰囲気で、武者人形が厳かに並んでおりましたが、昨年のリニューアルを経て、アートや体験型の展示を中心とした内容に変化し、館内も明るい色合いに一新されました。
 義仲館の展示内容が大きく変化したのは、次のような理由によります。義仲が木曽で兵を挙げてから、都へ上り、琵琶湖のほとりで討死するまでの出来事は、「平家物語」や貴族の日記などの豊富な史料によって鮮やかに描き出され、現在まで伝えられています。しかし、義仲が木曽でどのような幼少期~青年期を過ごし、挙兵までの間にどのようにして力を蓄えたのかについては、全くと言っていいほど当時の史料が残っておらず、ただ信憑性を確かめることの難しい伝承だけが残されています。そのため、伝承の紹介や、伝承に着想を得たアートを中心とする展示に切り替えられたのです。


 義仲館における自分のアルバイトの内容は、館内にある沢山の書籍資料の整理、そして歴史についての説明員などです。
 義仲館にはたくさんの書籍資料があります。リニューアル前には殆ど活用されず、無造作に仕舞われていましたが、今回のリニューアルを経て、その多くが展示スペースの本棚に置かれ、自由に読めるようになっています。しかし、義仲に関することが一部にしか載っていない史料も多いため、その箇所に付箋を貼るなどして、より扱いやすい形になるように心がけています。
 そして説明員ですが、やはりこの館には歴史が好きな人も多く訪れ、中には非常に知識の豊富な人もいらっしゃいます。そのような方々の場合、アートや伝承がベースの展示に満足せず、より学問的な歴史の知識を求められたり、自分の疑問点についてなかなかマニアックな質問をされたりすることがあります。そういった場合に、ある程度木曽義仲の歴史についての知識があるスタッフがいないと、対応することが難しくなってしまいます。

 ここに義仲館の運営の難しさがあります。伝承をベースに据え、塗り絵やタッチパネルなど、体験型のものも用意した現在の展示は、それほど歴史の知識が無いライト層に広く訴求することができます。自分のアルバイト中も、多くの親子連れがやってきて、子供たちが塗り絵やお絵描きを楽しんでいました。しかし、少数ではあれど義仲に深く興味を持ってくださっている歴史マニアにとっては、そのような展示では不十分な場合が多いのです。実際、自分の勤務中にも、「リニューアルで展示内容が変わってしまったから」と言って、入館せずに帰られる方もいらっしゃりました。自分も歴史好きなので、その気持ちもよく分かります。
 また、確かに義仲の木曽での生活を伝える史料は無いものの、義仲の生涯全体についてを見れば、先述のとおり「平家物語」や貴族の日記など、多くの史料が伝来しています。しかし、現在の展示内容では、それらは本棚にはしっかり置かれているものの、展示内容にはそれほど多く反映されていません。伝承は「木曽」というこの館の立地をよく反映したものではありますが、やはり義仲の生涯全体もきちんと伝えていきたいものです。それが日義村の人々に愛された義仲館の歴史を継いでいくものたちの使命でもあります。


義仲の御墓がある徳音寺。義仲館の目の前。

 そのようなわけで、現在は義仲をライト層とマニア層のどちらにも売り込むことができ、どちらにも満足して帰っていただけるような館の在り方を模索中です。どちらの方でも、やはり義仲の歴史について深い話を聞けると満足して帰っていただけるようで、自分が説明員として歴史の話についての説明や受け答えを行った結果、明らかにお客様の満足度が上がっていたと、常勤のスタッフの方から褒めていただくことができました。館としても、歴史の話ができるスタッフをもっと長く配置できるように、人材集めに励んでいるようです。

 自分の滞在していた際の実感の限りでは、映像作品が最も訴求力が高いように思えます。義仲館の映像作品は、特に第二部の、義仲の生涯を歌ったラップ調の歌などにおいて、ライト層への広い訴求力を発揮しながら、内容も歴史の知識を詰め込んだ、充実したものとなっております。そのようなところを参考に、これからも訪れる人に広く、そして深く義仲を知って楽しんでいただけるような展示を充実させていきたいところです。


日義村の旗挙八幡宮。義仲の館があり、また挙兵した場所と伝わる。

 この夏の自分の義仲館の勤務はもう全て終わりましたが、今後もアルバイトやその他の形で義仲館の運営に携わり、館をより良いものにしていきたいと考えています。自分の勤務中にいらっしゃった、昔博物館で学芸員していたというお爺さんのお客様がおっしゃっていた、「これがなかなか難しいけれども、まず義仲さんの顔が立ち、地元の人にも喜んでいただけて、そして深い歴史知識を広く売り出せて、お金にもなるような博物館を、頑張って作っていって下さい」という言葉を胸に、今後も頑張っていこうと思います。


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